北東北ツアー(1日目)
2007年 08月 28日
8月~10月のどこかで会社に休みをもらってカミさんと二人で旅行するのが、ここ数年の行事になっています。過去には仙台/松島、金沢、鳥羽に行ってきました。
今まで仙台/松島以北には行ったことがないので、奥州藤原氏(清衡/基衡/秀衡/泰衡)の足跡を見ながら東北地方を縦断するのが今年の旅の目的でした。
今回は急ぎ足でダイジェスト的にツアーに参加したため、もう少しゆっくり見てまわりたい場所は別途時間をつくって再訪しようと思っています。
8/25(土) 八王子 → 東京 → 一ノ関(発)~毛越寺/中尊寺/えさし藤原の郷~花巻温泉(泊)
一ノ関10:20出発のバスツアーに参加するため八王子の自宅を6時過ぎに出発。東京駅7:56発はやて5号に乗って一ノ関へ。一ノ関で下車、JRびゅうバス「奥州平泉義経号」に乗って旅行のスタート。
この日は大曲の花火大会があるため、一ノ関駅には大曲方面に行く観光バスが沢山止まっていて、自分達が乗るバスを見つけるのに大変でした。
■毛越寺(もうつうじ) 特別史跡・特別名勝
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営された。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれている。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けている。平成元年、平安様式の新本堂が建立された。
* 名前の由来(伝説):
850(嘉祥3)年慈覚大師(円仁)が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も進めなくなった。ふと足もとを見ると、地面に点々と白鹿の「毛」が落ちていた。大師は不思議に思いその毛をたどっていくと、前方に白鹿がうずくまっていた。大師が近づくと、白鹿は姿を消し、どこからともなく、一人の白髪の老人が現れ「この地に堂宇を建立して霊場にせよ」と告げた。大師はこの老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号した。
大泉が池
浄土庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池。池のほぼ中央部に勾玉状の中島がある。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれている。
南大門跡(礎石)
『吾妻鏡』に出てくる「二階惣門」。 12個の礎石が整然と並んでいる。
遣水
池に水を引き入れるために造られたもの。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されている。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催された。
■中尊寺
中尊寺は、850(嘉祥3)年慈覚大師(円仁)によって、この地に弘台寿院という寺が開かれたことに始まるといわれている。藤原清衡は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生をかえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和で平等な社会をつくりたいと願い、多くの堂塔伽藍を建立した。清衡の願いが実を結び、東北地方はおよそ100年間、大きな戦争のない平和な時代が続き、二代基衡、三代秀衡によって仏教による平和都市の建設が進む。『吾妻鏡』によると、中尊寺の規模は堂塔40僧坊300と伝え都市の中核をなしていた。
中尊寺ハス
種子は、金色堂に安置されている「泰衡の首級桶」から故・大賀一郎博士が発見したもの。昭和25年の金色堂の遺体調査において、大賀氏は「忠衡公首級」と伝わる桶から「ハス」の種子を採取していた。大賀氏没後埋もれた資料の中から発見され、平泉に返還され、「賛衡蔵」に保存されていた。故大賀氏の門下である恵泉女学園短大の長島時子教授に播種育成を依頼、平成5年に発芽したが、その後花を咲かすまでにはいたらなかった。日照時間の不足が原因では?との考えで育成場所の周りの樹木を伐採し日照時間を長くし、ようやく平成10年7月14日(発芽確認から5年目)につぼみを確認。7月29日に開花。紫波町の「陣ヶ岡」で梟首(きょうしゅ)された忠衡公首級を、だれが降ろし・金色堂に納めたのかは謎に包まれている。
讃衡蔵
中尊寺に伝わる文化財・宝物(ほうもつ)を永く後世に伝える宝物館。館名の讃衡蔵とは「奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業をたたえ(讃)る宝蔵」という意味。現存する、3000点以上の国宝・重要文化財のほとんどがここに収蔵されており、仏像・経典・奥州藤原氏の副葬品など、貴重な文化財を拝観することができる。1955(昭和30)年に戦後初の国庫補助事業として建設され、耐用性の問題から新たに、開山1150年の節目の年にあたる2000(平成12)年に新築された。
白山神社能舞台(重要文化財)
境内北方に位置する、中尊寺の鎮守・白山神社内に建つ。1853(嘉永6)年に伊達藩によって再建されたもの。近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構として、2003(平成15)年に重要文化財に指定されている。
■歴史公園えさし藤原の郷
1990(平成2)年頃から江刺青年会議所が、郷土の歴史を基礎に自信と誇りをテーマに「清衡の里・江刺」運動を展開、1991(平成3)年9月に平成5年NHK大河ドラマが「奥州藤原四代(仮題)」と決定。藤原清衡ゆかりの地としてロケ地の誘致運動をおこない、その結果、1992(平成4)年1月江刺市(現 奥州市)がメインロケ地に決定された。
従前の大河ドラマは、殆ど仮設オープンセットによっておこなわれたようであるが、大河ドラマを一過性に終わらせることなく地域の歴史を顕彰しながら将来の地域振興に結びつけるため、本格的平安建築の再現という方向を決定し、国、県、NHKの支援を受けながら歴史公園えさし藤原の郷の整備を実施した。
NHK 平成19年大河ドラマ【風林火山】
NHK 平成17年大河ドラマ【義経】
東宝映画 【映画・陰陽師2】
NHK 平成14年大河ドラマ【利家とまつ】
NHK 平成13年大河ドラマ【北条時宗】
NHK 平成9年大河ドラマ【毛利元就】
NHK 平成8年大河ドラマ【秀吉】
NHK 平成6年大河ドラマ【花の乱】
NHK 平成5年大河ドラマ【炎立つ】...等多数ロケ実績あり。
2時間コース、1時間30分コース、1時間コースの見学順路あり。



今まで仙台/松島以北には行ったことがないので、奥州藤原氏(清衡/基衡/秀衡/泰衡)の足跡を見ながら東北地方を縦断するのが今年の旅の目的でした。
今回は急ぎ足でダイジェスト的にツアーに参加したため、もう少しゆっくり見てまわりたい場所は別途時間をつくって再訪しようと思っています。
8/25(土) 八王子 → 東京 → 一ノ関(発)~毛越寺/中尊寺/えさし藤原の郷~花巻温泉(泊)
一ノ関10:20出発のバスツアーに参加するため八王子の自宅を6時過ぎに出発。東京駅7:56発はやて5号に乗って一ノ関へ。一ノ関で下車、JRびゅうバス「奥州平泉義経号」に乗って旅行のスタート。
この日は大曲の花火大会があるため、一ノ関駅には大曲方面に行く観光バスが沢山止まっていて、自分達が乗るバスを見つけるのに大変でした。
■毛越寺(もうつうじ) 特別史跡・特別名勝
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営された。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれている。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けている。平成元年、平安様式の新本堂が建立された。
* 名前の由来(伝説):
850(嘉祥3)年慈覚大師(円仁)が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も進めなくなった。ふと足もとを見ると、地面に点々と白鹿の「毛」が落ちていた。大師は不思議に思いその毛をたどっていくと、前方に白鹿がうずくまっていた。大師が近づくと、白鹿は姿を消し、どこからともなく、一人の白髪の老人が現れ「この地に堂宇を建立して霊場にせよ」と告げた。大師はこの老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号した。

浄土庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池。池のほぼ中央部に勾玉状の中島がある。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれている。

『吾妻鏡』に出てくる「二階惣門」。 12個の礎石が整然と並んでいる。

池に水を引き入れるために造られたもの。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されている。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催された。
■中尊寺
中尊寺は、850(嘉祥3)年慈覚大師(円仁)によって、この地に弘台寿院という寺が開かれたことに始まるといわれている。藤原清衡は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生をかえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和で平等な社会をつくりたいと願い、多くの堂塔伽藍を建立した。清衡の願いが実を結び、東北地方はおよそ100年間、大きな戦争のない平和な時代が続き、二代基衡、三代秀衡によって仏教による平和都市の建設が進む。『吾妻鏡』によると、中尊寺の規模は堂塔40僧坊300と伝え都市の中核をなしていた。

種子は、金色堂に安置されている「泰衡の首級桶」から故・大賀一郎博士が発見したもの。昭和25年の金色堂の遺体調査において、大賀氏は「忠衡公首級」と伝わる桶から「ハス」の種子を採取していた。大賀氏没後埋もれた資料の中から発見され、平泉に返還され、「賛衡蔵」に保存されていた。故大賀氏の門下である恵泉女学園短大の長島時子教授に播種育成を依頼、平成5年に発芽したが、その後花を咲かすまでにはいたらなかった。日照時間の不足が原因では?との考えで育成場所の周りの樹木を伐採し日照時間を長くし、ようやく平成10年7月14日(発芽確認から5年目)につぼみを確認。7月29日に開花。紫波町の「陣ヶ岡」で梟首(きょうしゅ)された忠衡公首級を、だれが降ろし・金色堂に納めたのかは謎に包まれている。

中尊寺に伝わる文化財・宝物(ほうもつ)を永く後世に伝える宝物館。館名の讃衡蔵とは「奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業をたたえ(讃)る宝蔵」という意味。現存する、3000点以上の国宝・重要文化財のほとんどがここに収蔵されており、仏像・経典・奥州藤原氏の副葬品など、貴重な文化財を拝観することができる。1955(昭和30)年に戦後初の国庫補助事業として建設され、耐用性の問題から新たに、開山1150年の節目の年にあたる2000(平成12)年に新築された。

境内北方に位置する、中尊寺の鎮守・白山神社内に建つ。1853(嘉永6)年に伊達藩によって再建されたもの。近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構として、2003(平成15)年に重要文化財に指定されている。
■歴史公園えさし藤原の郷
1990(平成2)年頃から江刺青年会議所が、郷土の歴史を基礎に自信と誇りをテーマに「清衡の里・江刺」運動を展開、1991(平成3)年9月に平成5年NHK大河ドラマが「奥州藤原四代(仮題)」と決定。藤原清衡ゆかりの地としてロケ地の誘致運動をおこない、その結果、1992(平成4)年1月江刺市(現 奥州市)がメインロケ地に決定された。
従前の大河ドラマは、殆ど仮設オープンセットによっておこなわれたようであるが、大河ドラマを一過性に終わらせることなく地域の歴史を顕彰しながら将来の地域振興に結びつけるため、本格的平安建築の再現という方向を決定し、国、県、NHKの支援を受けながら歴史公園えさし藤原の郷の整備を実施した。
NHK 平成19年大河ドラマ【風林火山】
NHK 平成17年大河ドラマ【義経】
東宝映画 【映画・陰陽師2】
NHK 平成14年大河ドラマ【利家とまつ】
NHK 平成13年大河ドラマ【北条時宗】
NHK 平成9年大河ドラマ【毛利元就】
NHK 平成8年大河ドラマ【秀吉】
NHK 平成6年大河ドラマ【花の乱】
NHK 平成5年大河ドラマ【炎立つ】...等多数ロケ実績あり。
2時間コース、1時間30分コース、1時間コースの見学順路あり。



by magician
| 2007-08-28 06:00